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【公明新聞】 大震災6年 復興加速へ“つながり”さらに

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東日本大震災から6年、「七回忌」の朝である。
静かに鎮魂の祈りを捧げることから、きょう一日をスタートさせたいと思う。
あの日を忘れないとの決意とともに―。
発災直後、被災の最前線で見た光景が蘇ってくる。
戦場跡さながらの荒涼たる風景。
淡雪舞う中、消防団員や自衛隊員らががれきの中に棒を突き刺しながら、黙々と遺体を探していた。
避難所には、余震に怯え、幼な子を力いっぱいに抱きしめる若い母親の姿があった。
4月、宮城県女川町の女川中学校では、避難所から通う新入生たちが俳句を詠んだ。
「春なのに
 明るい色が
 ない景色」「ぴーちゃんの
 笑った顔に
 また会いたい」―。
どの句にも恐怖と慟哭と絶望が滲んでいた。
だが、時の流れは、傷ついた被災地の人々の心をゆっくりと、だが確実に癒やしていった。
やがて女川中の生徒たちも前を向き始めた。
「白い地に
 これから絵の具を
 ぬっていく」「女川の
 未来変える
 私たち」 そして震災6年の今―。
被災地は災禍の爪痕をなお色濃く残しながらも、建設の息吹をそこかしこで醸している。
女川中を巣立った子どもたちも今や18歳、“高校生語り部”としてあの日の記憶と教訓を伝える活動に汗しているメンバーも少なくない。
あっぱれ東北!
 絶望の淵から立ち上がり、再生への道を歩む被災者たちの懸命のその姿に、最大限の賛辞を贈らずにおられない。
それにしても、住まいをなくし、家族までも失った彼ら彼女らを支えてきたものは何だったのか。
当事者たちの“証言”は一様だ。
「出会いとつながり。
これに尽きる」と。
思えば、震災以前の日本は「無縁社会」とも呼ばれ、人と人の結び付きが著しく希薄化していた。
そうした中で発生した未曽有の災害は、忘れていた国民的連帯を呼び覚まし、共感と共助の輪を列島中に広げずにはおかなかった。
この貴重な経験を風化させてはならない。
2万人弱にも及んだ無念の死に報いるために、今なお約3万4000人が仮設住宅に暮らす被災地の復興を加速するために、そして“次なる災害”に立ち向かうために。

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