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【琉球新報】 全学徒隊の碑 「強制動員」の歴史忘れまい

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 糸満市摩文仁の平和祈念公園内に「全学徒隊の碑」が建立された。今から72年前、県内21の中等学校、師範学校などの生徒(学徒)が沖縄戦に動員され犠牲になった事実を伝える。
 沖縄に配備された日本軍の任務は、沖縄を守り抜くことではなく、米軍を一日でも長く引きつけて「出血消耗」させ、日本本土への攻撃を遅らせることだった。そのために少年少女たちは半ば強制的に動員され、約半数が命を落とした。
 学徒隊として「ひめゆり」や一中、二中、師範の鉄血勤皇隊が知られるが、その他の学徒隊はあまり知られていない。全学徒隊の碑の建立を機に、改めて沖縄戦の実相を明らかにし後世に伝える重要性を確認したい。
 動員された学徒のうち、男子は14歳から19歳で、上級生は「鉄血勤皇隊」に、下級生は「通信隊」に編成された。女子は15歳から19歳で、主に負傷兵の看護活動に当たった。
 正確な数字は不明だが、ひめゆり平和祈念資料館によると、男女1900人以上が動員され981人が死亡した。
 男子学徒の動員は「志願」という形を取っているが、結果的に強制だった。米軍押収史料によると、軍が県と覚書を交わして、14歳以上の生徒の名簿をあらかじめ軍に提出させていた。その名簿に基づいて3月末、有無を言わせず学徒たちを召集し、2等兵として従軍させた。女子生徒の動員に対し、県は抵抗したが軍に押し切られた。軍の強制とはいえ、県が軍に協力した事実を忘れてはならない。
 爆薬を背負って米軍戦車めがけて自爆することを命令された学徒もいる。刀や手りゅう弾だけで敵に向かっていく斬り込みも命じられた。命を武器として扱う特攻である。
 学徒の犠牲は日本軍が首里の司令部を放棄して南部撤退後に多くなる。米軍が迫って来た6月上旬~下旬、学徒隊ごとに解散命令が出た。周りを米軍に囲まれ、砲弾が降り注ぐ中、逃げ惑い、悲惨な最期を遂げた。
 沖縄戦は終わったが、今でも世界の紛争地には多くの少年たちが徴兵・徴用されている。今回建立された碑は、沖縄戦の実相を伝えると同時に、子どもの生命を脅かし夢と希望を奪う行為を許してはならない-というメッセージを発信する場となってほしい。

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