Home > 社説 > 地方紙 > 関東地方 > 桐生タイムス(群馬県) > 【桐生タイムス】 空への憧れ、100年
E135-KIRYU

【桐生タイムス】 空への憧れ、100年

そう思わないそう思う (まだ投票していません)
Loading...

 東武線の高台から、赤城山や吾妻山に囲まれた桐生のまちの空を眺め、いまから100年前の夏の日に思いを馳せてみた。
 1917年7月。桐生市民はこのとき初めて、空を飛ぶ飛行機というものを見た。当時の相生村下新田、相生駅前に仮設された曲芸飛行の実演場には2万人もの観客が集まったという。
 ショーを披露したのは米国人のアート・スミス。愛機カーチス式複葉機を組み立て、綿密に点検してからシャツ一枚で機乗し、ベルトで体を固定した。その様子を場内外の人々が固唾をのんで見守る中、定刻の午前11時50分、スミスは離陸した。
 桐生市の図書館長だった堀越靖久さん(故人)が昔の資料をもとに離陸後の様子を本紙で次のように再現してくれている。
 「はじめ2千フィートまで上昇し、さらに4千フィートまでいくと機体は雲の中へ入って見えなくなったが、相生駅上空から宙返りを2回、さらに下降して6回繰り返し、そのあとキルク抜き12回、波状飛行6回の離れ業を実演、大喝采のうちに正午着陸した」。その日の午後もう一度実演し、熱狂の市民に見送られながら、スミスは馬車で桐生駅へ戻ったということだ。
 ライト兄弟が人類初の初飛行に成功(1903年)してからわずか14年。技術の進歩は目を見張る速度であり、しかも世界はさらなる先を見すえていた。
 1917年は第1次大戦の最中でもある。既に飛行機は攻撃兵器として注目されていて、桐生市民が曲芸飛行に驚いたのと同じころ、ドイツはロンドンの空襲に成功していたのである。
 もちろん日本でも、飛行機製造の必要性に目覚めていた人はいた。元海軍機関大尉の中島知久兵平が日本で最初の飛行機製造会社「飛行機研究所」を太田に創立したのはやはり17年12月である。以後、彼は陸軍用複葉機の設計生産に取り組むのだ。
 戦後72年、技術の平和利用が着々進んだ日本ではあるが、世界情勢に目を移せば、宇宙空間を巻き込むような弾道ミサイルの開発をめぐって、いつか来た道へ迷い込みそうな緊張感が高まりつつある昨今である。
 太古の昔から、人はこの空を見るたびに未来に憧れ、あふれるような夢を感じてきた。
 その夢が技術革新によって開かれるどころか、胸塞がれる思いに変わったのが100年の時の裏面である。空はずっと憧れの対象であってほしいと願う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。