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【信濃毎日新聞】 ミサイルと国民保護 非常時が染み込む日常

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 前夜、政府は兆候をつかんでいたという。北朝鮮のミサイル発射である。通常は都内の私邸に帰る安倍晋三首相も公邸に宿泊した。
 8月29日早朝。発射されたミサイルは北海道襟裳岬上空を通過し太平洋上に落下した。
 発射4分後、Jアラートが作動し、長野など12道県に「国民保護に関する情報」を発信。頑丈な建物や地下への避難を呼び掛けた。
 情報は政府が独占し、国民には限られた内容を一方通行で伝える。緊急メールとサイレンのいきなりの警報に飛び起きたものの、立ちすくむしかなかった。
 
 
 <やみくもな避難訓練>
 テレビは一斉に「国民保護に関する情報」に切り替わった。落下判明後も過去の発射映像を繰り返し放映し、画面はミサイル報道一色に染まった。
 カメラの前に立った首相は「わが国に発射」と発言している。日本が標的になったかの物言いを問いただす記者はいなかった。
 政府の情報を垂れ流すだけならば国民は考える間を持てない。不安や恐怖が一層あおられる。
 2004年施行の国民保護法は有事の際の緊急通報放送などを義務付けた「指定公共機関」にNHKや民放を指定した。
 「国民保護」の大義名分の裏側で政権の都合のよいように利用される危うさがつきまとう。
 ミサイル発射の翌30日。石川県輪島市で避難訓練が行われた。小学生は教室の机の下に身をかがめて頭を守り、保育園児は防災頭巾をかぶって窓から離れた場所に待機した。戦前、戦中の防空演習を思い起こさせる光景だった。
 ミサイルを想定した避難訓練は秋田県男鹿市が3月、国、県と共催したのを皮切りに、各地で行われてきた。県内では軽井沢町が10月下旬に実施する。
 どこに着弾すればどの程度の被害が出るのか、国は被害想定を明らかにしていない。自治体が国に求められるまま、やみくもに訓練を実施してきたとすれば、効果を測って生かすこともできまい。
 地方では頑丈な建物や地下が身近に少ない。着弾地周辺では頭を守って身をかがめても無意味ではないか。そんな素朴な疑問も「国民の生命と安全を守る」との大義名分に封じ込められてしまう。
 効果はともかく政府は避難訓練を積み重ねることで、国民に「非常時マインド」を醸成しようとしている。戦史・紛争史研究家の山崎雅弘さんはそうみる。
 北朝鮮の脅威を強調し「今は非常時、命を守るには仕方がない」との心理を植え込めば、国民や自治体は黙して政府に従うほかない。従わなければ「国を脅かす敵に同調している」と国民の中から攻撃を受けて排除される。
 それはより本質的な問題から国民の目をそらす。なぜここに立ち至っているのか複雑な歴史を顧みることなく、北朝鮮への憎悪だけに駆り立てられる。米国に追従していれば安心と思い込む。
 山崎さんは「ミサイルの直撃を受ければ命を救うすべはない。国民の命と財産を守ることができる唯一のすべは米朝戦争の勃発を防ぐこと。むやみに緊張をエスカレートさせてはならない」と話す。
 訓練の根拠にもなっている国民保護法は有事法制の一つとして整備された。外国から武力攻撃を受けたり大規模なテロ事件が発生したりした際に国や自治体の役割や国民の協力を定めている。
 
 
 <動員と表裏を成す>
 国民の自発的な協力を基本にしているが、避難のため民有地や家屋が必要になった場合には私権制限できる。法制化の段階では「民間防衛組織」も検討された。
 国民の「保護」と「動員」はいつの時代も表裏を成している。
 いったん有事を招けば基本的な人権や地方自治は後回しにされ、統制と動員態勢が強化されるのではないか。特定秘密保護法、安保法制、共謀罪とこのところ矢継ぎ早に整備された法体系を考え合わせれば懸念は膨らむ。
 パリ同時テロと緊急事態を受けイタリアの哲学者ジョルジョ・アガンベンさんが仏紙「ルモンド」に寄稿した。日本でも月刊雑誌「世界」2016年3月号に翻訳が掲載されている。
 西洋民主主義国家の間で、基本的人権など「法治」よりも「安全」が重視される国家への転換が進んでいるとの指摘だ。
 「安全国家」では、恐怖状態が維持され、市民は世論調査以外に政治に参加せず、司法による厳格な立証が放棄される。警察が主権者としてふるまい、自由裁量の余地が広がる、という。
 日本の政治も安全、安心をスローガンにしてきた。憲法に緊急事態条項を設けるのが首相が目指す改憲の一つの柱だ。避難訓練は日常に非常時を染み込ませる。安全国家はすぐそこに迫っている。 (9月10日)

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