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【西日本新聞】 災害の活性期 「平成の教訓」語り継ごう

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 「平成」は、自然災害の活性期と重なっているといわれる。
 天皇陛下が即位後初めて訪問された被災地は、長崎県の雲仙・普賢岳災害の現場である。1990(平成2)年、普賢岳は198年ぶりに噴火し、翌年6月3日には大火砕流で43人が犠牲になった。
 振り返れば、活性期の始まりを告げるような大災害となった。その後に起きた東日本大震災や熊本地震など一連の災害も、頻繁に被災地を訪問された陛下の姿とともに私たちの記憶に刻まれてきた。
 あらゆる災害の発生を正確に予測することは今の科学的知見では不可能だ。とはいえ、いつ、どこで起きても不思議ではない自然災害に備えることは可能である。
 大きな目で見た場合、災害は当然起きるものだとの危機感がどれほど社会に共有されていただろうか。自戒と反省の材料は多い。
 かつて昭和の高度経済成長期以降は災害の平穏期に重なったとされる。日本列島を襲う大災害が比較的少ない‐という好条件の下で達成された経済の成長と社会の繁栄だったとも指摘できよう。
 だからこそ私たちは「平成の災害」に冷静に向き合って科学的に分析するとともに、教訓を後世に伝えていかなければならない。
 ●巨大地震の高い確率
 日本の地震活性期は、詳しい記録の残る貞観期から平成期までに計6回あったとされる。
 貞観期(9世紀)▽慶長期(16~17世紀)▽元禄・宝永期(18世紀)▽安政期(19世紀)▽大正・昭和期(20世紀)▽平成期(21世紀)‐である。
 それぞれ期間は5~25年続いた。もちろん、平成が30年を迎えたからといって、活性期が終息に向かっているわけではない。
 むしろ南海トラフ巨大地震と首都直下地震は、30年以内に発生する確率がともに70%程度と極めて高い。熊本地震の発生前、熊本市での大地震の発生確率は7・6%と予測されていた。二つの巨大地震はいつ起きてもおかしくない。
 その上で、忘れてはならないことがある。発生確率など地震の研究成果を施策に直結させる体制が政府にできたのは、阪神大震災の教訓からだという点だ。
 まだ20年余にすぎない。蓄積された科学的データは、地震観測を始めた1875(明治8)年以降の150年分足らずだ。
 昭和50年代、地震の予知は可能とされた。しかし研究が進むにつれ、疑問点が噴き出す。政府・中央防災会議の有識者会議は昨年、住民の避難につながるような予知は困難と結論付けた。火山噴火の予知技術も確立されていない。
 ●防災の力を九州に
 地震や火山噴火と比べた場合、台風や豪雨は観測技術の発達から予測しやすいとされてきた。
 しかし近年は、「迷走台風」や「数十年に1度の豪雨」という言葉が頻繁に聞かれる。地球温暖化が大きな要因の一つとされる。
 九州北部を襲った豪雨災害の発生から半年がたった。昨年7月5日、福岡県朝倉市の24時間雨量は約千ミリに達し、7月の月間平均雨量の3倍近くに上った。線状降水帯が、同市付近で連続して4筋発生する極めて異例の事態だった。
 気象庁によると、1989(平成元)年以降、災害をもたらした大雨や台風は100件を超える。さらに大雨の年間発生数は最悪の場合、今世紀末には20世紀末の2倍以上になると同庁は予測する。
 豪雨と台風のエネルギー源はいずれも海面の水蒸気である。地球温暖化で海面水温が上昇し、蒸発する海水量は増加している。温暖化をいかに阻むかが世界的な課題であることは言うまでもない。
 平成の災害は科学技術の「安全神話」も崩壊させた。東日本大震災の福島第1原発事故はその象徴であろう。
 幾多の大災害を通じて復旧・復興が容易ではない現実も浮き彫りになった。後を絶たない災害関連死や地域の孤立と分断、硬直した行政に起因する生活基盤再建の遅れなどが被災者を苦しめてきた。
 自然災害のたびに繰り返される悲劇と困難を少しでも和らげ、軽減することはできないだろうか。
 常日頃から防災・減災の対策を怠らず、災害に遭遇したとしてもスムーズな復旧・復興に取り組む態勢を柔軟に整えておく。「平成の教訓」を語り継ぐことで、「災害に強い九州」を目指したい。

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