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E175-SHINANO

【信濃毎日新聞】 石牟礼さん死去 水俣病の苦しみ言葉に

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 不知火海に面した水俣で育ち、終生、熊本を離れなかった。作家の石牟礼道子さんが亡くなった。水俣病患者の苦しみに身を添わせ続けた人だった。
 水俣病は決して「終わった話」ではありません―。最晩年まで繰り返し語っていた言葉を、あらためて胸に刻みたい。
 まだ作家として地歩を固める前、子どもが入院した市立病院に「奇病」の病棟があると知って訪ねたのが患者との出会いだったという。その後、患者がいる地域に通いつめるようになる。
 「何か重大なことが起こっている」と感じ取り、気にかかってならなかったと語っている。そこでつぶさに見聞きしたことが、代表作「苦海浄土」をはじめとする作品につながっていった。
 「苦海浄土」は、聞き書きでもルポでもない。水銀に中枢神経を冒され、話すことさえできない患者たちの心の内にある思いをすくい取り、物語を紡いだ。それは、水俣病の歴史を語る上で欠かせない記念碑的な文学になった。
 水俣病は1956年に公式確認されてから既に60年余が過ぎる。けれども、根本的な解決にはほど遠い。被害の全容すらいまだにつかめていない。
 10万人を超すともいわれる被害者のうち、患者と認定されたのは2300人ほどにすぎない。厳しい認定条件の下、被害者の大多数が置き去りにされてきた。
 認定されない人への救済も図られはしたが、実態にそぐわない線引きによって対象者は限定され、被害者はここでも分け隔てられた。状況はいっそう入り組み、容易には解きほぐせない。
 水俣病は、化学工場の排水が原因と早い段階で指摘されながら、企業、行政が対策を怠る間に不知火海の沿岸全域へと被害が広がった。新潟で第2の水俣病が起きるのを防ぐこともできなかった。
 人間の命よりも産業経済の損害を重くみたことが、現在に至る深刻な被害を生んだ。そして、政府、加害企業は責任に正面から向き合ってこなかった。
 その構造は福島の原発事故にも重なる。「水俣の経験が生かされていない」。石牟礼さんは生前、無念さをにじませて語った。
 見落とされた患者を探し出すため、行政は今からでも住民の健康調査を、と訴え続けてきた。差別を恐れ、なお声を上げられない被害者もいる。補償、救済の手が及んでいない人は多い。年老い、亡くなっていくのを放置することは許されない。 (2月12日)

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