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【西日本新聞】 石牟礼さん逝く 水俣から近代を問い続け

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 さくらさくらわが不知火はひかり凪(なぎ)-。深い愛情を込めて俳句で詠んだ熊本・水俣の美しい春の訪れを前に、作家の石牟礼道子さんが亡くなった。90歳だった。
 水俣の主婦だった石牟礼さんが水俣病患者と出会ったのは1950年代末、本格的に文学の道を歩み始めたころである。
 60年に患者の語りを元に「奇病」を発表した。これが、水俣病の実態を広く社会に伝え、衝撃を与えた代表作「苦海浄土」(69年刊)の名編「ゆき女きき書」の初稿となった。
 石牟礼さんは執筆活動に取り組む傍ら、原因企業チッソと国を相手取った患者団体の初期闘争に深く関わっていった。
 その体験は、長い歳月をかけて「苦海浄土」3部作に結実する。
 患者の心に潜む苦しみと悲しみに言葉を与え、自然や村落共同体を破壊し、命の尊厳を踏みにじる国家と資本を撃った。近代化を根底から問い直す、世界に誇るべき日本文学の傑作といえよう。
 他人の苦しみに深く感応し、見捨てておけぬ性分の人を水俣で「悶(もだ)え神」と呼ぶという。石牟礼さんは「『悶え神』として水俣病問題に関わった」と熊本の評論家、渡辺京二さんが書いている。
 患者はもとより、汚染された自然の「痛み」とも深く交感する独自の感性が生んだ文学は、近代化で失われた人と自然が共生する豊かな世界の輝きも見せてくれた。石牟礼文学が人を引きつけてやまない魅力であろう。
 水俣病の公式確認から、既に60年以上が過ぎた。認定患者以外にも救済の道が開かれたとはいえ、今も1500人以上が認定や救済を求めて係争中だ。水俣病はまだ終わっていない。
 石牟礼さんのテーマは水俣病に限らないが、患者に寄り添う姿勢は終生変わらなかった。記憶の風化にあらがうメッセージを発し、人間を「棄却」することに無頓着な社会に警鐘を鳴らし続けた。
 水俣から近代の意味を問うた石牟礼さんの志とともに、その作品群は読み継がれるだろう。

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